吉原の遊郭、松葉屋の花魁である瀬川を多額のお金で身請けしたことで話題になった鳥山検校。2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」では市原隼人が鳥山検校役を演じています。
では、鳥山検校とは一体何者なのか?以下、説明していきます。
鳥山検校とは
検校とはどんな地位?
鳥山検校の「検校」(けんぎょう)というのは、江戸時代の男性視覚障害者の組合である当道座(とうどうざ)によって設定されている官位の一つです。当道座では検校を最高位に別当、勾当、座頭の四官がありました。つまり、検校は当道座の最高位であり、かなりの権威があったようです。
盲目の学者として有名な塙保己一(はなわほきいち)も検校の位にあり、最高位である総検校にまで上りました。
盲目の国学者 塙保己一
以下ではまず、当道座について簡単に説明します。
当道座について
当道座の組織
中世以降、男性の盲人の組織として当道座がありました。これは盲人の同業組合的なものでピラミッド型の組織でした。
江戸幕府もこの当道座を公認し、平曲や三曲などの音楽芸能や按摩、鍼灸などを独占的な事業として認めていました。
先ほど述べたように検校、別当、勾当、座頭の4官がありましたが、それらは十六の段階に分かれ、さらに七十三刻みと言われるように、73の段階に細分されています。このように当道座の組織は非常に精緻な階級制度になっていました。
出典:加藤康昭『日本盲人社会史研究』
この階級を登っていくにはお金(官金)が必要で、最下位から最上位の検校になるまでに、なんと719両もの大金が必要でした。お金で官位を買うことができるシステムでした。
こうしたことから、当道座に属する盲人たちはお金を必要とする事情があり、幕府は盲人による事業として金貸しをすることを認めていました。
江戸幕府と当道座
江戸幕府と当道座は今風に言えば、政府と視覚障害者団体と言えます。当道座はヒエラルキーを持つ自治的な組織であると同時に相互扶助的な同業者団体という性格もありました。
幕府は当道座を公認し、音楽芸能や按摩、鍼灸など独占的な事業を認めるだけでなく、座に対して税金を免除するなど、他の座とは異なる保護的な政策を取りました。また、官金貸という高利貸しも認めました。つまり、この組織をかなり優遇していたと言えます。
ある程度福祉的な要素もあったと言えますが、その背景として、幕府は当道座を通じて、盲人が自治的に統制されることを意図していたようです。
盲人と金貸し
上述のような事情で徳川幕府は盲人に対して、金貸しを営むことを正式に認めていました。これによって、莫大な資産を築く盲人もいました。その一人が鳥山検校だったわけです。
しかし、現代でも闇金を筆頭に、借金に伴う問題はたくさん起きています。江戸時代においてもそれは同様でした。
高利貸しと厳しい取り立て
盲人による高利貸しは官金貸し、座頭貸しなどと呼ばれ、正式に認められていましたが、高利貸しと厳しい取り立てで有名でした、
武陽隠士は「世事見聞録」で盲人の高利貸しを「強欲非道」と批判しています。
返済が滞ると、押しかけていき、大声で騒ぎ立てるなどし、これが原因で武士が出奔したり、恥じて腹を切る…などというような状況もあったようです。
現代でも借金苦から夜逃げをしたり、自殺をするという事件があったりしますが、それと同じような事件があったようです。
鳥山検校の処罰
しかし、さすがに度を越えたこともあり、安永七年(1778年)に鳥山検校ら複数の検校たちが処罰を受けました。
それは鳥山検校が吉原の遊郭「松葉屋」の花魁、五代目瀬川を身請けしてから、わずか三年後のことでした。
この事件は瀬川の身請けとともに、江戸の人々に注目され、話題になったようです。当時の文芸や歌舞伎等にもこのエピソードが取り入れられています。
参考文献
松本彪・久宗周二「視覚障害者の職業に関する一考察」
原田信一「近世の座頭にみる職業素描」
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