勝川春章(かつかわ しゅんしょう)

浮世絵師

勝川春章は明和年間から寛政初年にかけて活躍した浮世絵師で、勝川派の祖です。2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」では前野朋哉が演じています。

ここでは、勝川春章について説明します。

勝川春章とは

浮世絵にはいろんなジャンルがありますが、その中でも二大ジャンルと言えるのが美人画と役者絵です。勝川春章の浮世絵はどちらも好評を博しました。特に役者絵については当時、第一人者として認識されていました。また、肉筆の美人画でも定評があります。

勝川春章の生い立ちと経歴

諱は正輝、字は千尋。俗称は要助、安永3年(1774年)に春祐助と改めました。出自を含め、浮世絵師としての修業時代のことはあまりわかっていませんが、春章の父が医者であり葛西にいたという話などが伝わっています。

人形町の林屋七右衛門という地本問屋に身を寄せ、以下の絵にあるように林屋の請取判である壷の中に林と書かれた判を画印としたので「壷屋」や「壺春章」と呼ばれました。

三代目松本幸四郎の漁師姿

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-198?locale=ja)

また、浮世絵師の北尾重政が家の向かいに住んでいたので、親交がありました。北尾派の祖と勝川派の祖が近所同士だったわけですね。

勝川春章の師匠 宮川春水

春章の師は宮川派に属する宮川春水です。宮川長春に始まる宮川派の浮世絵師は基本的に版画ではなく、肉筆画を描いていました。また、英派(はなぶさは)の絵師、高 嵩谷にも学んでいました。

肉筆画:遊女禿図 宮川春水筆

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-398?locale=ja)

宮川長春を巡る殺傷事件

宮川春水の師である宮川長春に関してはある事件がありました。それは表絵師(御家人格の御用絵師)を務めていた稲荷橋狩野家当主の狩野春賀から仕事を受け、日光東照宮での仕事を手伝った際に起きました。

なんと狩野春賀は代金を踏み倒して支払わなかっただけではなく、支払いの催促に来た宮川長春に暴力をふるい、さらには荒縄で縛ってゴミ箱に捨てるという暴挙に出ました。

これに怒った長春の子、長助は他の門人と共に狩野邸に夜襲をかけ、狩野春賀を血祭りにあげ、さらには他にも2~4名を殺傷しました。

金銭トラブルから発生したこの事件により、両者ともに死罪あるいは遠島など厳罰に処せられました。

「勝川」という姓

この事件により、宮川長春の弟子であった宮川春水は「宮川」姓を名乗ることをはばかり、「勝宮川」と称しました。さらには、その後、宮を抜き、「勝川」と名乗ったとも言われています。

春水の弟子であった春章も最初は宮川、その後、師匠に倣って勝宮川、そしてその後、勝川を名乗るようになりました。

つまり、勝川春章の勝川姓は宮川長春と狩野春賀の間に起こった事件の余波により、生まれた姓ということになります。

勝川春章の作品と特徴

役者絵

勝川春章は役者絵の名手として知られていました。役者絵は伝統的に鳥居派が担ってきましたが、鳥居派の定型的な形式とは異なり、春章の役者絵は役者に似せて描いたので、当時、非常に人気となりました。

絵を見た歌舞伎ファンはそれが誰なのかわかる、つまり写実的な表現に特色がありました。役者の個性を描き出した東洲斎写楽出現の序章といえるかもしれません。

その最初の作品は明和七年(1770年)に雁金屋から一筆斎文調との共作で出された「絵本舞台扇」です。

絵本舞台扇(えほんぶたいおうぎ)

大首絵の源流

春章の役者絵を代表する作品の一つに東扇のシリーズがあります。扇に貼り付けることができるように扇形に書かれた役者絵で、全身像ではなく、上半身をクローズアップしています。これは大首絵の系列につながり、後の喜多川歌麿や東洲斎写楽の大首絵につながっていくとされています。

東扇(あずまおうぎ)・初代中村仲蔵 ※重要美術品

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-215?locale=ja)

肉筆作品

春章は優れた肉筆美人画を書く絵師として知られていました。天明後期になると役者絵の分野を弟子に任せ、自らは専ら肉筆画を描きました。

元々は肉筆画を描く宮川派に連なっていることも関係しているかもしれません。

遊女と燕図 肉筆作品 ※賛は太田南畝

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-11540?locale=ja)

相撲絵

春章は天明期になると役者絵で培った技術を背景に相撲絵も描いています。こちらも相撲ファンに好評だったようです。

谷風梶之助・小野川喜三郎・行事木村庄之助

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-1402?locale=ja)

北尾重政との共作

ご近所さんということもあり親交があった北尾重政との共作として「青楼美人合姿鏡」(せいろうびじんあわせすがたかがみ)が知られています。作品としても傑作として評価されています。

青楼美人合姿鏡

あぶな絵・枕絵(春画)

他の浮世絵師と同様、春章も以下のような、チラリズムが光るあぶな絵や枕絵を描きました。

湯上り団扇持ち美人

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-11540?locale=ja)

勝川春章の弟子たち

勝川春章は勝川派の創始者であり、多くの弟子を育てました。その中には、あの葛飾北斎も含まれています。以下、主な弟子たちを紹介します。

勝川春好

勝川春章門下の中でも高弟の一人。本姓は清川で通称は伝次郎。師と同じく役者絵で優れた作品を残しています。大首絵からさらに顔の部分を強調した大顔絵を描きました。これは喜多川歌麿の美人大首絵や東洲斎写楽の役者絵に影響を与えたと言われています。

三代目市川高麗蔵の平宗盛 勝川春好 ※重要美術品

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-1602?locale=ja)

勝川春英

勝川春章門下の中で、春好と並び称された。本姓は磯田で、名は久次郎。東洲斎写楽が活躍する前後に、同じく雲母摺の役者大首絵を出していて、役者絵の分野での期待の高さがうかがわれます。写楽や歌川豊国にも影響を与えています。

また、役者絵以外に武者絵、相撲絵、肉筆美人画など、師の春章と同様、幅広く活躍しました。春英門下には二代目勝川春章、二代目勝川春好などがいました。

三代目市川高麗蔵の志賀大七 勝川春英 ※重要美術品

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-1639?locale=ja)

勝川春朗(葛飾北斎)

世界的に高い評価を受けている日本を代表する絵師である葛飾北斎は勝川春章門下の春朗としてデビューしました。その後、名を変えつつ、森羅万象を描く絵師として名作を残しました。

飛鳥山暮雪

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-2868?locale=ja)

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