吉原遊郭の中には遣手(やりて)と呼ばれる女性がいました。これは「やりてばばあ」の語源にもなっています。2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」では大文字屋のやりて「しげ」役を山村紅葉が演じています。
ここでは遣手(やりて)に焦点を当てて考えてみたいと思います。
吉原遊郭の遣手(やりて)とは
大文字屋のやり手、しげは実在したのか?
大河ドラマに出てくる大文字屋のやり手「しげ」は果たして実在の人物なのでしょうか?
答えは“実在の人物”です。
吉原遊郭には吉原細見という案内本、つまり、吉原遊郭の情報を掲載したガイドブックが年2回発行されていました。
この吉原細見は蔦屋重三郎がその発行を担うようになっていきます。詳しくは「吉原細見と蔦屋重三郎」に記載しています。
以下の図は安永四年(1775年)に蔦屋重三郎によって発行された吉原細見の大文字屋の項目です。
緑で囲んだ部分は「大もんじや市兵衛」と書かれています。これは妓楼である大文字屋の楼主の名前です。
また、青で囲んだ部分は「たかそて」と書かれています。これは遊女の誰袖(たがそで)のことです。ここから、ずらっと在籍している遊女の名前が並びます。
この大文字屋の項目の一番最後、左下の赤で囲んだ箇所に「やりて 志げ」と書かれています。
この時期、しげと呼ばれる遣手がいたことがわかります。
遣手(やりて)の仕事は?
それでは、遊郭内で遣手(やりて)はどのような仕事をしていたのでしょうか?
遣手は年配の女性が行っており、各妓楼にいました。
吉原の遊郭には花魁のほか、様々な階層の遊女たち、それにまだ子供である禿などがいましたが、遣手はそうした女性を監督・指導する立場でした。
楼主に雇われる立場ですから、遊女たちからは煙たがられたり、恐れられたりしていた一面もあったようで、実際に折檻などを行うこともあったようです。
また、冒頭の図に見られるように、客や遊女の間を取り持ったり、食事など座の手配、客の値踏みなど多様な役割を担っていたようです。
それだけに、妓楼に関する様々な知識、経験が必要であり、そのため元遊女であった女性がこれを担っていました。
遊女として働く中、身請けされる女性もいましたが、そうでない女性たちにとって、その後、生きていくための一つの術だったのでしょう。
遣手は監視係、指導係ですから、ちょっときつめの性格でないとできなかったのではないでしょうか。
年季が明け、年を取った遊女の中にはこうした遣手以外に、飯炊きや縫い子として働く女性もいました。
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