
浮世絵師、北尾政演(きたお まさのぶ)は戯作者、山東 京伝として知られています。このベストセラー作家である山東京伝(さんとう きょうでん)という名前があまりにも有名であるため、戯作者としての活動に焦点が当てられがちです。
しかし、最初は浮世絵師として出発しました。ここでは、浮世絵師、北尾政演としての活動に焦点を当ててみていきます。
2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」では北尾政演役を古川雄大が演じています。
![]() |

浮世絵師 北尾政演の軌跡

鳥橋斎栄里「江戸花京橋名取」より
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-360?locale=ja)
宝暦十一年(1761年) 江戸深川に生まれる
北尾政演は本名、岩瀬醒(いわせ さむる)と言い、宝暦十一年(1761年)に江戸の深川木場で質屋を営む岩瀬伝左衛門の長男として生まれました。
八歳年下の次男、相四郎こと岩瀬百樹( ももき)は後の戯作者、山東 京山です。また、その下の妹、よねは黒鳶式部という名で黄表紙や狂歌を作りました。
安永年間 10代
北尾政演の師、北尾重政
北尾政演の浮世絵の師は北尾派の祖として知られる北尾重政です。重政の政の一字を取って、北尾政演(まさのぶ)と名乗りました。政演が入門したのは安永四年(1775年)、10代半ばの頃でした。
摘み草図 北尾重政画

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-136?locale=ja)
また、絵師として北尾政演以外の号として葎斎(せいさい)、北尾葎斎政演、北尾京伝、山東政演とも名乗っています。
浮世絵師としてデビュー
北尾政演は安永七年(1778年)に黄表紙「お花半七開帳利益札遊合」(おはなはんしち かいちょうりやくの めくりあい)の挿絵を描きました。これが浮世絵師としてのデビュー作と考えられています。
以後、安永年間にいくつかの本の挿絵を担当しています。この安永年間は、政演がティーンエージャーだった時期に当たります。早くから絵師として活躍していたことが分かります。
安永八年(1779年)出版 黄表紙「日東國三曲之鼎」(はなのおえどさんきょくのかなえ) 北尾政演画

安永九年(1780年)出版 黄表紙「遊人三幅対」 芝全交作 北尾政演画

安永九年(1780年)出版 黄表紙「米饅頭始」 北尾政演画作
こちらは挿絵だけでなく、文章も政演が書いています。既にティーンエージャーの時から、作家活動も並行してやっていたことがわかります。後の山東京伝への布石になったと思われます。

天明年間 20代
浮世絵師としての北尾政演は本の挿絵と錦絵の分野で活動しています。特に浮世絵の華とも言える錦絵はこの時期に集中しています。天明期は浮世絵師、北尾政演の中心的な活動時期と言えるでしょう。
北尾政演の錦絵作品
當世艶風拾形圖・船宿かづさや ※重要美術品

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-2138?locale=ja)
風流近江八景・三井の晩鐘

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-2144?locale=ja)
扇地紙売 柱絵判

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-397?locale=ja)
天明四年(1784年)出版 「新美人合自筆鏡」北尾葏齋政演画
北尾政演の代表作ともいわれる作品で、「青楼名君自筆集」として出された作品を仕立て直したものです。版元は耕書堂蔦屋重三郎です。
序文は四方山人(大田南畝)が書き、同じく狂歌師として名高い朱楽館主人(朱楽菅江)が跋文を書いています。
※詳細は北尾政演の代表作「吉原傾城 新美人合自筆鏡」を参照!

天明五年(1785年) 江戸生艶気樺焼(えどうまれ うわきの かばやき)
山東京伝の代表作と言える大ヒット作品です。京伝作、北尾政演画、つまり一人で作った作品です。
主人公の艶二郎の団子鼻は京伝鼻や艶二郎鼻と呼ばれました。他の作品でもこの鼻で描かれたキャラが登場し、京伝の自画像のこの鼻で描かれています。

寛政年間 20代終わり~30代
寛政元年(1789年)出版 黄表紙「黒白水鏡」による筆禍事件
寛政元年(1789年)に出された黄表紙「黒白水鏡」(こくびゃくみずかがみ)は石部琴好が書いたものですが、挿絵は北尾政演が担当しました。当時、幕府の政治に対して言及することは禁止されていたにもかかわらず、この作品は江戸城内で起こった、佐野善左衛門政言による若年寄、田沼意知に対する刃傷沙汰をベースにした話でした。
これにより、黄表紙「黒白水鏡」は絶版処分となり、作者の石部琴好は数日、手鎖りをされた後、江戸所払いとなりました。その際、挿絵を描いた北尾政演も罰金刑を受けています。
時代は天明から寛政へと変わる中、松平定信による寛政の改革の影響がひしひしと迫ってくる時期でした。
黄表紙「黒白水鏡」 石部琴好作、北尾政演画

寛政三年(1791年)出版 箱入娘面屋人魚 山東京伝作
この黄表紙では冒頭で版元の蔦唐丸(蔦屋重三郎)による「まじめなる口上」が書かれています。それによると、上記の事件に関して、戯作をやめようとした京伝に対して、蔦屋のたっての願いで戯作を続けるようになったと書かれています

終わりに
天明年間に大きく花開いた浮世絵師、北尾政演はその後、寛政年間の筆禍事件や、戯作の依頼が殺到したことなどで、錦絵からは遠のきました。そのため、歴史上は浮世絵師としてよりも、戯作者、山東京伝として名を残すようになります。
コメント