
鳥山石燕は江戸時代に活躍した絵師ですが、特に妖怪画で知られています。現在、妖怪のイメージはゲゲゲの鬼太郎で知られる漫画家の水木しげるが描いたものがよく知られていますが、実は水木しげるも石燕の絵から取材しているものが多くあります。
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2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」では、この鳥山石燕を片岡鶴太郎が演じています。片岡鶴太郎は画家としても知られるだけに期待されています。
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また、この鳥山石燕を師とするのが喜多川歌麿です。妖怪画の巨匠と美人画の巨匠、面白い師弟コンビですね。ここでは、鳥山石燕に焦点を当てて見ていきます。
鳥山石燕とは
鳥山石燕の略歴
本名は佐野正房で、船月堂、零陵洞、玉樹軒、月窓などの号がありました。正徳二年(1712年)あるいは正徳四年に生まれ、天明八年(1788年)に亡くなりました。70半ばで亡くなったということで、当時としては長命でした。
生家については詳しくは不明ですが、江戸城内で茶などを出す御坊主の家だったと言われています。絵に関しては狩野派の絵師である狩野周信(かのう ちかのぶ)、あるいは狩野玉燕(かのう ぎょくえん)の門下だったと言われます。
江戸時代、狩野派は幕府の御用絵師として、画壇の中心にいました。そうした意味では当時の正統派の絵画を習っており、それが画業の下地になったと思われます。ですから、鳥山石燕自身は町狩野(まちかのう)と呼ばれる在野の狩野派の絵師と言えます。
しかし、多くの浮世絵師を育てており、実質的には狩野派を下地に浮世絵を含めた町絵師であったと言えそうです。
鳥山石燕の画業
後述の妖怪画以外に肉筆作品もあり、奉納額などの作品もあります。浮世絵の二大ジャンルともいえる美人画と役者絵に関しては、他の著名な浮世絵師のように錦絵作品がほとんどなく、版本の作品が多いのが特徴です。
石燕画譜

石燕は浮世絵木版において、拭きぼかしという技法を始めたことで知られています。「石燕画譜」において、石燕は拭きぼかしの技法を使用しています。こうした拭きぼかしの手法はその後の浮世絵に大きな影響を与えました。
通俗画図勢勇談(つうぞくがずせいゆうだん) 志水燕十著 鳥山石燕画

「通俗画図勢勇談」は西遊記をモチーフにした話です。作者の志水燕十は御家人で、戯作者、浮世絵師、狂歌師など様々な顔を持っています。また、鳥山石燕の弟子でもあります。
妖怪画の巨匠
鳥山石燕と言えば、多くの人が思い浮かべるのが妖怪画の巨匠というイメージです。現在、我々がイメージする妖怪の多くが鳥山石燕の妖怪画に基づいていたりします。日本人の妖怪のビジュアルイメージを作り上げたと言っても過言ではありません。
代表作としては「百鬼夜行絵巻」などがあります。
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画図百鬼夜行 鳥山石燕画

百器徒然袋(ひゃっきつれづれぶくろ) 鳥山石燕画

石燕の弟子たち
鳥山石燕には多くの弟子がいて、前述の喜多川歌麿のほかにも、著名な人物だけでも恋川春町、栄松斎長喜、歌川豊春などが知られています。
俳人としての鳥山石燕
鳥山石燕は俳句もたしなんでおり、東流斎燕志に師事していました。燕志の編纂した俳書には、石燕の師弟が挿絵を担当することが多く、なかでも俳書「ちよのはる」には若き日の喜多川歌麿が石要の名で挿絵を描いていることが知られています。
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