べらぼう 吉原 大黒屋

吉原関係

吉原の妓楼、大黒屋。2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」では、この大黒屋の女将りつ役を安達祐実が演じています。

ここでは、大黒屋と見番(けんばん)制度など大黒屋が吉原文化に果たした役割について見ていきます。

大黒屋庄六とは

大黒屋の女将りつは架空の設定

「べらぼう」では吉原の妓楼、大黒屋の女将りつが活躍していますが、これはドラマ上の架空の設定です。ですが、大黒屋自体は吉原の角町に実在し、妓楼主として大黒屋庄六がいました。もちろん、庄六の妻である女将もいたことでしょう。

大黒屋庄六(あるいは正六)は本名、片岡秀民と言い、寛政二年(1790年)に64歳で亡くなったことが記されています。

芸者の見番制度

大黒屋は芸者の見番制度を作りました。その後、妓楼を廃業し、この見番制度の確立に尽力しました。ここでは、喜田川季壮の「類聚近世風俗志」により芸者の見番制度について見ていきます。

芸者の歴史

元々、吉原ではお座敷での芸(舞踊や音曲)は遊女自らが行っていましたが、しだいに芸を専門とする芸者へと分化していきました。最初の芸者は宝暦の頃の、扇屋歌扇(かせん)とされています。

その後、段々と増えていき、明和の頃には各妓楼に芸者が置かれ、吉原細見にも芸者名が記されるようになります。芸者が遊女と一緒に張り見世に出ていたこともあるようです。

張り見世の図

見番制度の出現

その後、大黒屋庄六が芸者を管理する見番(あるいは見板)という制度を始めます。今でいうところの、派遣業者や芸能事務所といったところでしょうか。吉原の女芸者には見番が管理する見板芸者と各妓楼にいる内芸者の2種類がありました。

内芸者は大見世にはいませんでした。また、各妓楼の中にせいぜい1~3名程度でした。

見板芸者は二人一組、内芸者は一人づつで活動しました。見板芸者の場合、二人一組で原則、一席で金一分という料金でした。長席だったり、終日だと金二分から三分。昼夜だと一両一分でした。これにプラスアルファで祝儀が出る場合もあったようです。

この原則的な費用である金一分に対して、見番に銀四匁を支払う必要がありました。金1両=銀60匁であることから、金一分は銀15匁に相当します。この内4匁を引かれるわけですから、26~27パーセント差し引かれる計算になります。

以下の図は安永八年(1779年)の吉原細見に載っている、男芸者と女芸者の一覧です。

公益事業

大黒屋庄六は見番制度の収益により、吉原への通い道である日本堤の補修を行うなど、公益的な事業も行っていました、

名所江戸百景 よし原日本堤 歌川広重画

見番制度による公益事業

上記で述べたように一分に対して、見番が四匁を取ることになりますが、全体として見番にどれぐらいの収益があったのでしょうか。

少し時代が下りますが、安政五年の資料では入金は3500両余りで、支出は2980両ほどとなっています。

この支出の中には以下のようなものが含まれています。

  • 187両3分ー俄狂言
  • 41両2分ー桜の植樹
  • 250両ー土提溝道作り等
  • 53両ー燈籠
  • 110両ー火消人足雇
  • 18両ー同半天股引等
  • 311両ー会所の諸費
  • 30両ー月番金
  • 86両ー諸史官等音物
  • 53両ー同駕舟雇銭
  • 400両ー手先給金(岡っ引き)
  • 1000両ー本宅隠宅諸費
  • 200両ー奴婢給金
  • 240両ー臨時諸費

吉原地域、文化を維持するための様々な経費に使われていることがわかります。

終わりに

以上のように大黒屋による見番制度の確立は、芸者制度の確立やその収益による環境整備など、吉原文化に大きな影響を与えたことが分かります。

ただ芸者を派遣して利益を上げるというだけではなかったわけです。

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