
2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」に若元春・遠藤・錦木といった現役の大相撲の関取が出演し話題になっています。共に三役経験者の実力者ぞろいです。
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ここでは、当時の相撲の状況について簡単に説明します。
相撲の歴史と江戸文化
日本における相撲の歴史は古代、さらには神話の時代までさかのぼりますが、現在の大相撲の原型が出来上がったのが江戸時代頃と言えます。
それは現在の大相撲につながる次のような要素があるからです。
職業力士の出現
単に力自慢がそれを競う草相撲とは違い、江戸時代になると相撲で生計を立てる人が現れました。つまり力士のプロフェッショナル化です。これは現在の大相撲につながる重要な要素と言えるでしょう。
中世には既に相撲で生計を立てる人も出ていたようですが、本格的にプロフェッショナル化が進んだのはやはり江戸期と言えます。
相撲興行の定期化
上記のように力士が相撲だけで生計を立てるためには相撲の定期的な開催が前提と言えます。江戸時代には全国で勧進相撲が行われるようになりますが、特に江戸中期以降には定期的な開催が実現しています。
中でも江戸、大坂、京都では相撲興行が盛んでしたが、徐々に江戸が重要視されるようになっていきました。
現在、相撲が行われる場所と言えば両国の国技館が有名ですが、それは江戸後期に両国の回向院の境内で相撲が定期的に開催されていたことに由来します。寛政期以降、回向院で開催されることが増え、天保期になると定期開催されるようになりました。
江戸両国回向院大相撲之図 安政三年 歌川国郷画

両国勧進大相撲晴天大當繁昌之圖 勝川春章画

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-1401?locale=ja)
番付の編成
江戸時代には現在の大相撲と同じように大関、関脇、小結、前頭といった番付が編成されるようになりました。
ただ現在のように番付のトップは横綱ではなく、大関がトップでした。当時、横綱というのは大関の中で特に認められた称号として存在していました。
江戸の娯楽と相撲人気
江戸の繁栄と並行して、歌舞伎などと並び、庶民の娯楽として相撲が人気を博するようになりました。特に寛政期以降にその傾向が強まったようです。
この頃になると、第4代横綱谷風梶之助、第5代横綱小野川喜三郎、雷電為右衛門などのスター選手が登場してきます。

現代へとつながる相撲
下記の「勧進大相撲土俵入之図」のように江戸期の相撲は、現代の大相撲と同じだと感じる場面も多いです。
やはり、直接の起源は江戸時代に求められるでしょう。
因みに錦木という名を赤線で囲んでいます。錦木という四股名は江戸時代からの由緒ある名前であることがわかります。代々、名前が受けつがれているのも伝統を感じさせます。
勧進大相撲土俵入之図 安政六年 一恵斎芳幾画

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