蔦屋重三郎の最期 脚気(かっけ)とは?

弥次さん喜多さん「ゆっくり解説」シリーズ 6

「こんにちは弥次郎兵衛だよ。」

「喜多八だぜ!」

今回は蔦屋重三郎の死因となった脚気について解説していきます!

蔦屋重三郎と言えば、江戸の文化を活気づけた功労者として知られているよな。

江戸のメディア王って言われてるぜ!

吉原で生まれ育って、日本橋に進出。

お上にもひるまず、出版業をやり遂げたのは大したもんだぜ。

そうだよな。

ところで、蔦重はいつ亡くなったんだい?

寛政9年(1797年)だな。

何歳だったんだい!

寛延3年(1750年)生まれだから、まだ50前だな。

まだまだこれからって時だよな。

そうだな。ところで、喜多さんは蔦重の死因を知ってるかい?

いや、よくは知らねえな。

蔦重は脚気で亡くなったんだ。

今回は江戸時代の脚気について解説していくよ!

江戸時代の平均寿命

それにしても40代で亡くなるって早くないかい?

確かに2025年のデータだと平均寿命が男は81歳、女は87歳ぐらいだからな。

日本は世界トップクラスの長寿国なんだぜ!

だけど、喜多さん、昔は違ったんだぜ。

そうなのかい?

江戸時代どころか、戦前までは平均寿命は50歳以下だったんだ。

50歳だと、今じゃ、まだまだ働き盛りの年齢だぜ!

なんと江戸時代だと平均寿命は30歳程度だという研究もある。

えーまじかい?

ああ、だけどこれにはカラクリがあるんだ。

ほー、というと?

昔は乳幼児の死亡率が今とは比べ物にならないぐらい異常に高かったんだ。

ほー、どれぐらいの割合だったんだい?

まず、生まれる前に亡くなる死産の割合が1割程度。

無事に生まれても、成人できるのは半数程度だったと言われてるな。

多産多死社会だったんだな。

おっ、喜多さん、難しい言葉知ってんだな。

でも、平均寿命が異常に低くなってるけど、無事に成人出来た人はそれなりに長く生きれたようだ。

ほー、どのぐらいだい?

江戸時代でも無事に成人すれば、60歳ぐらいまで生きたと言われてるよ。

目指せ還暦!って感じだな。

蔦重の死因となった脚気とは?

ところで、蔦重の罹った脚気ってどんな病気なんだい?

脚気になると心臓の機能が低下したり、末梢神経に障害が起きたりするんだ。

聞いただけで怖い病気だな…

何が原因なんだい?

ビタミンB1が不足することで起きるんだ。

ビタミンって大事なんだな。どんな症状が出るんだい?

最初は食欲不振や全身がだるかったりする。

そして、心臓の不調で脚がむくんだり、末梢神経の障害で足がしびれたりするんだ。

つまり、足に来るのか。

だから、”脚気”って呼ばれてるんだ。

なるほど!

悪化すると手足に力が入らないので寝たきり状態となり、最悪、心不全で命を落とすことになる。

ひゃー、命にかかわる病気なんだな。

昔は健康診断で膝を叩いて反応を調べる検査をやってたんだよ。

だけど、現在ではほぼ克服された病気になってるので、検査もやらなくなったね。

江戸時代の脚気

喜多さん、江戸では脚気にかかる人が多かったんだ。

それは、なんでだい?

原因は白米を食べるからなんだ。

まだまだ庶民の間では麦飯や雑穀などが主流だからな。

なんで、白いご飯を食べると脚気になるんだい?

コメにはぬか層や胚芽があるんだが、ここにビタミンB1が豊富に含まれてるんだ。

米を精米する中で、ぬかや胚芽に含まれているビタミンB1が抜け落ちてしまうからなんだ。

なるほど、そういうことなんだな。

元々、上流の階層しか食べれなかった白米が江戸では庶民の間でも食べられるようになってきたんだ。

それによって、武士や庶民層の間で脚気が広がったってことさ。

美味しい白米を食べることで脚気になる…因果なもんだ。

原因は白米を食べる習慣なんだから、江戸以外に大阪や京都でも脚気は広がっていた。

そして、地方都市でも広がっていったようだ。

まあ、そうなるわな。

みんな、原因を知らなかったのかい?

ああ、一部の者はなんとなくはわかってたみたいだ。

「脚気には小豆めし、麦めし」という考えもあったからな。

経験的な知恵だな。

でも原因はわかっていなかった。

明治になっても西洋医学界では脚気を伝染病だと考えていたくらいだからな。

だから江戸でかかる病気と思われ、「江戸わずらい」なんて呼ばれてたんだ。

風土病って思ってたのかい?

ああ、地方から江戸に出てきた者が脚気になっても、地方に帰ると治ったりしたからな。

元々、白米を食ってた連中はどうだったんだい?

ああ、平安時代から貴族なんかは脚気に悩まされていたようだ。

江戸でも14代将軍家茂公やその奥方の和宮内親王は脚気で亡くなったと言われている。

おっ、幕末の有名人だな。

ただ、家茂公夫婦はスイーツ好きがたたったようだがね。

甘いものには要注意だぜ!

現代人は脚気にならない?

でも、弥次さんおかしいじゃねえか!

白米を食べる現代人は脚気になったって聞かないぜ!

おっ、喜多さんいいところに気づいたね。

それは栄養バランスの違いだ。

というと?

江戸では一汁一菜が基本で副食はあまり摂らなかったんだ。

大量のご飯とちょっとのおかず…って感じかな。

おいらも、普段は飯と味噌汁だけだぜ!

喜多さんもヤバいな…

おいらも今日から麦飯にするぜ!

ところで脚気は江戸時代だけでなく、明治になっても多くの人命を奪ったんだ。

原因がわかれば簡単に治るのにな…

特に雑穀を食べていた農村では殖産興業の影響で、絹の生産のために蚕のえさとなる桑畑へと変換する動きがあったんだ。

ああ、ビタミンB1が摂れなくなっていくんだな。

そうなんだ、国民全体へと広がっていくわけさ。

明治や大正時代には脚気は結核と並ぶ国民病とされていたんだ。

脚気にかかる人はずっと続いてたんだな。

蔦屋重三郎と脚気

弥次さん、蔦重の最期はどんな感じだったんだい?

亡くなったのは寛政9年の5月なんだが、前年の秋ごろから体調を崩し、3月には危篤状態だったようだ。

うーむ、今だったら簡単に治ったんだろうけどな…残念だな。

ところで、アルコールも脚気のリスク要因に挙げられてるんだ。

酒を飲むと脚気になりやすいってことかい?

そうなんだ。酒ばかり飲んで栄養バランスが悪くなるだけじゃなくて、アルコールの分解にビタミンB1がたくさん使われてしまうんだ。

蔦重の場合、付き合いで飲む機会も多かっただろうしな。

そうだな。これは吉原での狂歌の会の様子だ。赤丸で囲んだのが蔦重さ。

まあ、それでも、やるだけやりきった人生だったな。

そうだな。同じ庶民として喝さいを送るよ!

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