
浮世絵界で美人画の第一人者と言えば、やはり喜多川歌麿を思い浮かべる方が多いでしょう。ここでは、歌麿までの浮世絵界における美人画の系譜を見ていきます。
見返り美人図 菱川師宣画

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-60?locale=ja)
17世紀後半頃、初期の浮世絵界で活躍し、浮世絵の確立者ともされているのが菱川師宣(ひしかわ もろのぶ)です。その師宣の代表作がこの「見返り美人図」と呼ばれる肉筆作品です。これ以後、時代と共に様々な美人画が展開していきます。
寛文美人図(かんぶんびじんず)
見返り美人図より、少し前の17世紀中頃から、寛文美人図と呼ばれる風俗画が書かれるようになりました。単独で描かれる一人立美人図であり、美人画という独立した画題という点で、その嚆矢となる作品群とされています。
これらの寛文美人図はその後の浮世絵美人画にも大きな影響を与えています。その最も初期の頃の作品で代表的なものとして、「縁先美人図」 があります。
「縁先美人図」 (えんさきびじんず)

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鈴木春信の一大旋風!
菱川師宣が活躍してから一世紀近く経過した、18世紀後半、明和年間の頃、鈴木春信が華奢な少女のような独自の美人画を描き、好評を博しました。
雨夜の宮詣(見立蟻通図) 鈴木春信画 ※重要美術品

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その後、他の絵師も春信風の美人画に追随し、春信風の美人画は一世を風靡しました。
春信風の美人画
鍵屋お仙 北尾重政画

摂津国擣衣玉川 礒田湖龍斎画 ※重要美術品

鈴木春信以後
一世を風靡した春信風の美人画でしたが、その後、安永年間になると徐々に各絵師が肉感を備えた独自の美人画を確立していきました。
北尾重政
明和に世を去った鈴木春信に代わり、浮世絵美人画界を支えた一人が北尾派の祖、北尾重政です。美人画では定評がありました。
摘み草図 北尾重政画

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勝川春章
役者絵で知られる勝川春章ですが、美人絵も評価が高く、肉筆絵は「春章一幅値千金」と称されていました。
遊女と燕図 勝川春章画

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礒田湖龍斎
この時期、同じく美人画で知られていたのが礒田湖龍斎です。
美人愛猫図 礒田湖龍斎画

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天明の覇者 鳥居清長
天明年間に入り、美人画界に一躍躍り出てきたのが鳥居清長です。役者絵を得意とする鳥居派から美人画の大家が出現したわけです。
清長の美人画は八頭身の健康的な美人で江戸のヴィーナスとも称され、海外においても評価の高い浮世絵師です。
鳥居家四代目を襲名し、その後は美人画から遠ざかったようです。
飛鳥山花見 鳥居清長画

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飛鳥山花見 鳥居清長画

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喜多川歌麿の出現!
天明期、健康的な美人を描いた鳥居清長の後、寛政期に入ると、いよいよ喜多川歌麿が頭角を現します。そして、美人画界の巨匠へと上り詰めていきます。
婦女人相十品・ポッピンを吹く娘 喜多川歌麿画

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婦人相學十躰・浮気之相 喜多川歌麿画

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針仕事 喜多川歌麿画 ※重要美術品

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歌麿以後
浮世絵界においては、もちろん歌麿以後も美人画は書き続けられていきます。例えば、渓斎英泉や歌川派の国貞などが知られています。しかし、江戸期において、その頂点に達したと言える歌麿の美人画以後、それを超える美人画の絵師は現れなかったと言えます。
月下船着場図 渓斎英泉画

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江戸名所百人美女図 歌川国貞画

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