べらぼう 柴野栗山(しばの りつざん)

学者

儒学者で文人である柴野栗山は寛政の三博士の一人として知られています。2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」では、この柴野栗山役のキャストとして嶋田久作が出ています。

ここでは柴野栗山について見ていきます。

柴野栗山とは

略歴

元文元年(1736年)に現在の香川県である讃岐国三木郡牟礼村で父、柴野軌逵と母、於澤の間に生まれました。諱は邦彦で、字は彦輔ですが、一般には儒学者で文人の柴野栗山として知られています。現在同地には栗山記念館が建っています。

高松藩の儒者、後藤芝山(しざん)に師事し、その後、宝暦三年(1753年)には昌平坂学問所の前身である江戸の湯島聖堂で勉学に励みました。

また、明和二年(1765年)には京都で国学を高橋図南から学びました。

こうして学問を身に着けた後、明和四年(1767年)に徳島の阿波蜂須賀家に儒者として仕えました。安永元年(1772年)には若狭小浜藩士の藤田義知の次女である阿順と結婚します。

長く徳島藩に仕えますが、天明七年(1787年)には老中、松平定信から呼ばれ、幕府に仕えることになります。

松平定信が主導した寛政の改革では「寛政異学の禁」により、朱子学が正学として位置づけられました。また、林家の私塾という扱いであった湯島聖堂は幕府直轄の昌平坂学問所へと移行します。

寛政の三博士

柴野栗山は岡田寒泉、尾藤二洲とともに寛政の三博士として知られています。共に幕府直轄の教育機関である昌平坂学問所で儒学の教鞭をとりました。後期には、岡田寒泉が常陸の代官になったため、寒泉に代わって古賀精里が寛政の三博士に入っています。

柴野栗山の書

富嶽詩書

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/B-2911?locale=ja)

五言絶句

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/B-1123?locale=ja)

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