べらぼう 式亭三馬

江戸文化

江戸時代後期を代表する戯作者の一人、式亭三馬。代表作としては滑稽本の「浮世風呂」や「浮世床」などがあります。

2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」では、この式亭三馬役のキャストとして荒井雄斗が出演しています。

ここでは式亭三馬について説明します。

式亭三馬とは

略歴

式亭三馬の名は菊地泰輔といい、安永五年(1776年)に江戸の浅草田原町で家主であり、版木師でもあった菊地茂兵衛の子として生まれました。茂兵衛の父は八丈島の為朝大明神の神官であり、茂兵衛は妾の子であったと言われています。

東京都立中央図書館所蔵

9歳から16歳まで地本問屋翫月堂の掘野屋仁兵衛のところで小僧として働いていました。こうして版木師の父を持ち、地本問屋で働くという環境が、戯作者、式亭三馬の誕生に寄与したと言えます。

寛政九年(1797年)頃に本屋であった蘭香堂万屋太治右衛門の婿養子となり、作家業と兼業となります。その後、妻の死により家を出て、文化三年(1806年)に古本屋を開きます。小僧として働いていたころの主人、掘野屋仁兵衛の娘を後妻に迎えます。

古本屋をやめて、文化七年(1810年)に化粧品に用いる売薬の製造販売をはじめ、自らの著作でも薬の宣伝を行いました。

文化九年(1812年)に息子の虎之助が生まれます。彼は後に式亭虎之助、あるいは式亭小三馬と名乗る戯作者となり、多くの合巻作品を書いています。

戯作者、式亭三馬

戯作者としてデビュー

寛政六年(1794年)に処女作となる黄表紙「天道浮世出星操」を出版します。版元は西宮新六です。西宮新六とは懇意にしていて、それもあり三馬は通称を西宮太助と名乗っていたようです。

黄表紙「天道浮世出星操」(てんどううきよのでづかい) 式亭三馬作 歌川豊国画

黄表紙「侠太平記向鉢巻」 (きゃんたいへいきむこうはちまき)

寛政十一年(1799年)に出されたこの作品は、前年の山王祭の際に起きた、火消人足らによる、まるで軍のような大喧嘩を題材にしたものです。死傷者も多数出たようですが、これを軍に書き換えて作ったのが本作品です。

これは「よ組」の火消人足らの怒りを買い、三馬と版元の西宮新六の家が襲撃を受け、打ち壊されました。この事件により、火消したちは入牢、三馬も手鎖五十日の刑となりました。

大ヒット作品「浮世風呂」

文化六年(1809年)から十年(1813年)にかけて書いた滑稽本「浮世風呂」は式亭三馬の代表作とされています。

滑稽本「浮世風呂」

式亭三馬の弟子

三馬の弟子には為永春水、楽亭馬笑、古今亭三鳥、益亭三友などがいます。為永春水は代表作「春色梅児誉美」などで、人情本の第一人者として知られています。

式亭三馬の辞世の句

【安永5年(1776年) – 文政5年閏1月6日(1822年)】

善もせず 悪もつくらず 死る身は 地蔵も誉ず 焔魔叱らず

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