
徳川治貞は第9代の紀州藩主となった人物で、名君として知られています。
2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」では、この徳川治貞役を様々な時代劇で活躍してきた高橋英樹が演じています。
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ここでは徳川治貞について見ていきます。
徳川治貞とは
略歴
徳川治貞は享保十三年(1728年)に御三家の一つ、紀州徳川家の6代藩主、徳川宗直の五男(諸説あり)として誕生しました。
幼名は春千代といい、その後、紀州藩の支藩であった西条藩主、松平頼邑(よりさと)の養子となり、松平頼淳(よりあつ)と名乗ります。
紀州家を継ぐことになった時、将軍家治から”治”の字をもらい、治貞と名乗りました。以後の文章では煩雑さをさけるため全期間を通じて治貞で統一します。
紀州家藩主までの道のり
父、徳川宗直は伊予国西条藩の藩主でしたが、紀州藩主であった徳川吉宗が将軍家を継ぐことになったため、それと入れ替わりに紀州藩主となりました。
その後、紀州藩主は治貞の兄、徳川宗将(むねのぶ)が第7代藩主となり、治貞は西条藩主となります。紀州藩の8代目は徳川宗将の子、重倫(しげのり)が継ぎますが、30歳の若さで隠居します。あまりの素行の悪さが原因だったとも言われています。
重倫の子が幼少だったことで、安永四年(1775年)、叔父に当たる西城藩主の治貞が9代藩主として紀州家に迎えられます。
名君 紀麟公
40代後半で藩主となった治貞は藩政改革を行います。その手本は8代将軍吉宗だったようです。質素倹約を旨として、財政再建を行いました。自ら徹底した倹約を行ったことで知られています。
当時、名君として知られた熊本藩の細川重賢(ほそかわ しげかた)とともに、「紀州の麒麟、肥後の鳳凰」と並び称されました。
紀州の麒麟ということで、紀麟公とよばれました。
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