
天明から寛政の頃、戯作者、狂歌師として活躍した唐来三和。参和と書くこともあります。俳優、小沢昭一の一人芝居でも知られています。
![]() |

また、作家、井上ひさしの「戯作者銘々伝」でも取り上げられています。
![]() |

2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」では唐来三和役を山口森広(やまぐち しげひろ)が演じています。
ここでは、唐来三和について見ていきます。
唐来三和とは
唐来三和の略歴
本名は加藤と言い、曲亭馬琴によると、元々は高家(名門の出自である旗本)に仕えていた武士だったようです。高家というのは例えば、赤穂事件で知られる吉良家が有名です。
しかし、何らかの事情で武士を辞め、本所松井町の娼家に婿入りして、和泉屋源蔵と名乗っていました。その際、蔦屋重三郎の弟分となって、入り婿になったと言われています。当時の戯作者はこのように本業があり、副業的に著作に携わっていたようです。
唐来三和の戯作作品
唐来三和は天明三年(1783年)の洒落本「三教色」以降、洒落本、黄表紙、狂歌集など、様々な著作があります。
洒落本「和唐珍解」(わとうちんかい) 唐来参和 作
序は四方山人(太田南畝)が書いています。

黄表紙「莫切自根金生木」(きるなのねからかねのなるき) 唐来参和 戯作、喜多川千代女 画
タイトルの「莫切自根金生木」は、“きるなのねからかねのなるき”と読み、上から読んでも、下から読んでも同じになります。金が余っている「萬々」という人物が何とか散財しようとするが、どんどんお金が増えてしまうという話です。
絵師の喜多川千代女は歌麿の門人ですが、歌麿の妻という説もあります。

寛政の改革による処分
田沼失脚後により台頭した松平定信による寛政の改革では出版に対する統制も行われました。その中で処分を受けた者もいますが、唐来三和もその一人です。
寛政元年(1789年)に出した黄表紙「天下一面鏡海鉢」(てんかいちめんかがみのうめばち )が寛政の改革を穿ったものだとして絶版処分を受けました。これにより、2年ほど執筆を控えました。
黄表紙「天下一面鏡海鉢」 唐來三和 戯作、 栄松斎長喜 画

寛政の改革による処分以後の作品
処分以後、2年ほど執筆を控えた後、再び、執筆を再開していますが、それほど数は多くありません。
黄表紙「家内手本用心藏 」 唐來三和 戯作、 子興 画
忠臣蔵を題材に取った寛政十年(1798年)の作品。絵師の子興とは栄松斎長喜が一時使っていた名前です。

狂歌師としての唐来三和
唐来三和は著名な狂歌師である四方赤良(太田南畝)の門人でした。
別号で質草少々、唐来山人とも名乗っていました。
なれもまた思ひに身をやこがしけん 灰毛の色の猫の妻恋 /唐来参和

宿屋飯盛編「古今狂歌袋」に上記の歌が掲載されています。
【兜虫】恋しなは 兜虫ともなりぬへし しのひの緒さへ きれはてし身は/唐来三和
この歌は「画本虫撰」に掲載されています。この本は蔦屋重三郎が出した宿屋飯盛(石川雅望)撰による狂歌絵本です。
絵は美人画で知られる喜多川歌麿が執筆しており、序は歌麿の師である鳥山石燕が書いています。

【鵜】鳥の名の うき名かこたん 川波に はつとはなしの たねとなりなは/唐来三和
この歌は「絵本百千鳥」に掲載されています。この狂歌絵本は上記の「画本虫撰」、そして「「潮干のつと」と共に喜多川歌麿の三部作として知られています。

コメント