べらぼう 蔦屋次郎兵衛(つたや じろべえ)

家族

2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」で蔦屋重三郎の義兄として蔦屋次郎兵衛が出ています。ちょっと頼りないけど、憎めない愛されキャラですよね。では、この蔦屋次郎兵衛は果たして実在しているのでしょうか?ここでは蔦屋次郎兵衛について見ていきます。

この蔦屋次郎兵衛役を中村蒼が演じています。

蔦屋次郎兵衛とは

蔦屋次郎兵衛は実在した!

大河ドラマ「べらぼう」では吉原大門前の「蔦屋」という茶屋を次郎兵衛と重三郎が切り盛りしています。実際この店は実在していました。それは以下の安永四年(1775年)の吉原細見に記載されています。

※吉原細見について詳しくはこちらの吉原細見と蔦屋重三郎を参照!

上記の緑の丸で囲んだのが吉原唯一の入り口である吉原大門です。この門から左側の部分が吉原です。

この吉原大門の右側に、吉原に入る道が描かれています。この道は五十間道(ごじっけんみち)と呼ばれています。道の両側に茶屋などが軒を連ねていました。

大門から四件目の赤で囲んだ部分に「つたや 次郎兵衛」と書かれています。大門の近くに蔦屋という茶屋があり、そこには間違いなく次郎兵衛がいたことがわかります。

蔦屋重三郎と次郎兵衛の関係

さて、簡単に蔦屋重三郎について触れておきます。重三郎は吉原で父、丸山重助と母、廣瀬津与の間に生まれました。その後、7歳の時に喜多川家に養子として引き取られました。

この喜多川家が蔦屋という引手茶屋(遊客を遊女屋へ案内する場所)を営んでいたようです。ですから、蔦屋重三郎(蔦屋は屋号で、重三郎は通称です)の本姓は元々は丸山、その後、喜多川に変わったわけです。

蔦屋重三郎は最初、この次郎兵衛の店の軒先を借りて、吉原細見などを売り始めます。重三郎と次郎兵衛の正確な関係はわかりませんが、義兄であった可能性が考えられています。

次郎兵衛店の近所に蔦重の本屋出店

さて、以下は上記で図示した吉原細見から4年後の安永八年(1779年)に出された吉原細見です。

大門の外側4軒目に引き続き、「つたや 次郎兵衛」の表記が見られます。注目されるのは次郎兵衛店の4軒隣に「細見板本本屋 つたや重三郎」と記載されていることです。

次郎兵衛の茶屋の軒先を借りていた蔦重がすぐ近くに独立した本屋を持ったことがわかります。

次郎兵衛のその後と次郎吉

以下に掲げるのは寛政七年(1795年)の吉原細見です。蔦重が亡くなる前々年に当たります。寛政六年から七年にかけて、蔦重は東洲斎写楽の錦絵を売り出します。

さて、図を見ると、以前、蔦屋次郎兵衛となっていたところが「つたや次郎吉」になっています。また、蔦屋重三郎は日本橋に進出しますが、元々あった吉原五十間道の店も“吉原支店”みたいな形で残していました。それを見ると「つたや本屋 松蔵」となっています。

次郎兵衛は次郎吉へと代替わりしたようです。次郎兵衛の息子でしょうか?気になるところです。

終わりに

以上、史実からは次郎兵衛と重三郎の正確な関係は不明ですが、義兄の可能性が考えられています。蔦重は最初、次郎兵衛店の軒先で営業し、その後、独立したときにすぐ近くに出店するなど、二人は強い関係で結ばれていたことがわかります。

次郎兵衛から次郎吉へと代替わりして、次郎兵衛はご隠居さんになり、幸せな生活を送っていたのでしょうか。そうであってほしいですね。

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