江戸時代の中後期に当たる天明期に、江戸で狂歌が大ブームとなりました。それはこの時期に活躍した蔦屋重三郎にも影響を与えました。ここでは、天明期の狂歌界について説明します。
天明狂歌壇
天明期から寛政期にかけて江戸で狂歌が一大ブームとなります。内容は皮肉、風刺、機知、滑稽やパロディなどを特徴としています。
これは同時期の文学である、笑いや穿ちを特徴とする黄表紙や洒落本などと同じ根を持つものだと言えます。
狂歌の歴史
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
これは百人一首に出てくる阿倍仲麻呂の有名な歌ですが、このように5・7・5・7・7で詠われるのが短歌(和歌)です。
狂歌も同じく、5・7・5・7・7で歌われるので、こうした短歌の一種だと言えます。
ですが、内容は上述のように皮肉、風刺、機知、滑稽やパロディなどを詠っています。
狂歌の源流は古代、中世まで遡ることができます。ですが、最も発展したのは近世以降と言えます。近世を前期、中期、後期に分けると、前期の狂歌は京都が中心でした。その後、中期になると大阪が中心となり、浪速狂歌と呼ばれます。後期には江戸が中心となりました。
特に天明期から、寛政期にかけての、いわゆる天明狂歌はその頂点に達した時期と言え、社会現象となったとまで言われています。しかし、近代以降になると衰退していきました。
大田南畝の随筆「奴師労之」(やっこだこ)によると、江戸で狂歌の会を始めて行ったのは、小島橘洲(唐衣橘洲)であり、最初は4、5人の集まりでした。それが、徐々に拡大していき、天明狂歌のブームへと結実していきます。
狂歌がブームとなる中、唐衣橘洲と四方赤良の間で対立があったことはよく知られています。
天明狂歌の特徴
天明期には狂歌を楽しむ人々は、それぞれ「○○連」と呼ばれるグループを形成し、狂歌の会を催していました。因みに蔦屋重三郎は吉原連に属していました。
天明狂歌の三大家
天明期の狂歌師としては唐衣橘洲(からごろも きっしゅう)、四方赤良(よもの あから)、朱楽菅江(あけら かんこう)が三大家とされ、それぞれ活躍しました。
唐衣橘洲(からごろも きっしゅう)
本名:小島源之助
江戸四谷忍原横町に居住し、田安徳川家小十人組に属する幕臣でした。明和六年(1769年)に太田南畝(四方赤良)や平秩東作を誘い、狂歌の会を開きました。しかし、その後、太田南畝(四方赤良)と対立するようになりました。
四方赤良(よもの あから)
国文学研究資料館所蔵『古今狂歌袋』CC BY-SA
通称:太田直次郎、一般には太田南畝、蜀山人などの名で知られています。
幕府に仕える御家人でした。狂歌以外に、随筆、洒落本、狂詩、漢詩などマルチに活躍する当時を代表する文人でした。
狂歌において四方赤良を中心とするグループは、山手連(四方側)と呼ばれました。
朱楽菅江(あけら かんこう)
本名:山崎景基(後に景貫)
幕臣で御先手組の与力でした。朱楽菅江はあけらかん、今でも使う「あっけらかん」から取られています。妻の節松嫁々(ふしまつのかか)と共に狂歌グループ、朱楽連を結成して活躍しました。
天明狂歌の四天王
天明狂歌の三大家とは別に四天王と呼ばれている人がいます。
宿屋飯盛(やどやの めしもり)
本名:糠屋七兵衛(後に石川五郎兵衛)、国学者 石川雅望として知られる。
墨摺絵で著名な浮世絵師、石川豊信の五男。鹿津部真顔と化政期の狂歌界を二分する人物でした。狂名にもあるように旅籠屋を営んでました。蔦屋重三郎と組んで、多くの狂歌絵本を出しています。
鹿津部真顔(しかつべの まがお)
通称:北川嘉兵衛
黄表紙や洒落本などの戯作も行いました。宿屋飯盛と化政期の狂歌界を二分する人物でした。狂歌を俳諧歌と改称し、和歌の高尚さを取り入れようと提唱しましたが、結果的には受け入れられませんでした。
頭光(つむりの ひかる、つぶりのひかる)
本名:岸誠之、俗称は宇右衛門
浮世絵師、一筆斎文調の門人で岸文笑と称しました。狂歌名として他に桑楊庵、二世巴人亭とも名乗りました。狂名は早くに頭が禿げたことによります。
銭屋 金埒(ぜにやの きんらち)
本姓:馬場、通称は大坂屋甚兵衛
狂名は数寄屋橋で両替商を営んだことに由来します。初期の狂名は物事名輔でした。
天明狂歌壇の各連と代表者
天明期に活動していた主な連(狂歌グループ)と代表者は以下の通りです。多くの連があったことがわかります。こうした連には中核となる人物を中心としたものや、地域ごとに集まったもの、あるいはそれらの折衷形態などがありました。
- 四谷連(唐衣橘洲)
- 山手連(四方赤良=太田南畝)
- 朱楽連(朱楽菅江)
- 落栗連(元木網-もとのもくあみ=高 嵩松)
- 伯楽連(宿屋飯盛-やどやのめしもり=石川雅望)
- 数寄屋連(鹿津部真顔ーしかつべのまがお)
- 吉原連(加保茶元成ーかぼちゃのもとなり=大文字屋市兵衛)
- 堺町連(花道のつらねー五代目市川團十郎)
- 芝浜連(浜辺黒人)
参考文献
松木寛「蔦屋重三郎: 江戸芸術の演出者」
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