2027年の大河ドラマ「逆賊の幕臣」では北村有起哉が小栗忠高役を演じています。
![]() |
三河小栗氏の11代目当主
小栗上野介忠順の父、小栗忠高は2500石の旗本でした。通称は又一でした。三河小栗氏の11代目当主で、旗本としては上位の部類に入る家柄でした。
元々は中川飛騨守忠英の四男として生まれましたが、隣家であった10代目当主であった小栗忠清の娘、くに子と結婚し、婿入りをしました。隣家ということで互いに見知っている間柄だったと思われます。
因みに実父の中川忠英は勘定奉行、大目付、留守居等、旗本としての役職を極めた人物で文政三傑の一人として知られる有能な人物でした。
持筒頭から新潟奉行へ
幕府の中に持組と言う軍事組織があり、持弓組と持筒組として、それぞれ弓と鉄砲を用いました。小栗忠高は与力、同心からなるその持筒組を率いる持筒頭の役職にも就いていました。鉄砲部隊隊長と言う感じでしょうか。
この軍事部門である番方の持筒頭を務めた後、嘉永七年(1854年)に行政職である役方の遠国奉行の一つ、新潟奉行に就任しました。
遠国奉行の中で、新潟奉行は天保十四年(1843年)に設けられた比較的新しい役職でした。元々、重要な港町でしたが、外国船に対する海防なども意識して設けられたようです。
以下は、嘉永七年に出された「有司武鑑」です。新潟奉行として小栗又一の名が掲載されています。しかし、残念ながら翌安政二年(1855年)に47歳で任地の新潟で亡くなりました。

持筒頭、新潟奉行は共に布衣(ほい)を着ることを許された役職で、官位で言うと六位相当と見なされる役職でした。布衣の服装は以下のようなものです。

これより、上に進み、諸大夫となる役職に就けば、従五位下の官位とともに○○守と言うような名乗りをするようになります。服装も以下のようになります。見た目で位が分かるわけです。

上記の「有司武鑑」には「小栗又一」とのみ、記されていたことから、諸大夫にはなっていなかったと思われます。
同じ遠国奉行の中でも、上位の奉行は諸大夫でしたので、小栗忠高も次に別の遠国奉行に任じられれば従五位下○○守となれた可能性があります。そういう意味でも後、一歩というところで残念だったと思います。因みに息子の小栗忠順は安政六年(1859年)に従五位下豊後守に任じられ、その後、上野介を名乗っています。



コメント