「逆賊の幕臣」 父:小栗 忠高(おぐり ただたか)

小栗上野介忠順 家族・親戚

2027年の大河ドラマ「逆賊の幕臣」では北村有起哉が小栗忠高役を演じています。

三河小栗氏の11代目当主

小栗上野介忠順の父、小栗忠高は文化六年(1809年)に家禄1000石の旗本、中川飛騨守忠英(ただてる)の四男として生まれました。中川忠英は勘定奉行、大目付、留守居等、旗本としての役職を極めた人物で文政三傑の一人として知られる有能な人物でした。

父、中川忠英と二軒向こうに住んでいた旗本、三河小栗家の10代目当主、小栗忠清は懇意にしていました。小栗家は2500石の家禄を持ち、旗本としてはかなり上位の家柄でした。忠高は当時、後継ぎのいなかった小栗家に養子に行きます。

忠高は幼少時から儒学者、黒沢雪堂に学問を学んでいます。

小栗家と中川家の位置図

文化十年(1813年)に義父の忠清が亡くなると、後を継いだ忠高が小栗家の11代目当主となります。通称は小栗家の当主が代々、用いる又一を名乗りました。

忠高は養父、小栗忠清の娘、くに子と結婚しました。

順調に役職を歴任

文政九年(1826年)には小性組の番衆となります。幕府の五番方と呼ばれる軍事組織の中で、小姓組と書院番は両番と呼ばれて、将来の昇進が期待できる格式の高い役職でした。

天保十四年(1843年)には使番に昇進します。天保十四年の大成武鑑を見ると、「御使番衆」の項に「小栗又一」として記載されています。

使番は役高1000石の布衣役(官位:6位相当)です。

さらに西の丸の目付に転じた後、弘化二年(1845年)には留守居番となります。弘化二年の弘化武鑑を見ると、小栗又一が役高1000石の布衣役である「御本丸御留守居番」に就いていることが分かります。

持筒頭から新潟奉行へ

弘化四年(1847年)には持筒頭となります。

幕府の中に持組と言う軍事組織があり、持弓組と持筒組として、それぞれ弓と鉄砲を用いました。小栗忠高は与力、同心からなるその持筒組を率いる持筒頭の役職に就いていました。役高は1500石の役職でした。鉄砲部隊隊長と言う感じでしょうか。

嘉永二年の大成武鑑には以下のように記載されています。

この軍事部門である番方の持筒頭を務めた後、嘉永七年(1854年)に行政職である役方の遠国奉行の一つ、新潟奉行に就任しました。

遠国奉行の中で、新潟奉行は天保十四年(1843年)に設けられた比較的新しい役職でした。元々、重要な港町でしたが、外国船に対する海防なども意識して設けられたようです。

以下は、嘉永七年に出された「有司武鑑」です。新潟奉行として小栗又一の名が掲載されています。しかし、残念ながら翌安政二年(1855年)に47歳で任地の新潟で亡くなりました。

使番以降、目付、留守居番、持筒頭、新潟奉行など布衣役の役職を歴任しています。これらは布衣(ほい)を着ることを許された役職で、官位で言うと六位相当と見なされる役職でした。布衣の服装は以下のようなものです。

これより、上に進み、諸大夫となる役職に就けば、従五位下の官位とともに○○守と言うような名乗りをするようになります。服装も以下のようになります。見た目で位が分かるわけです。

上記の「有司武鑑」には「小栗又一」とのみ、記されていたことからわかるように、諸大夫にはなっていませんでした。

同じ遠国奉行の中でも、上位の奉行は諸大夫でしたので、小栗忠高も次の役職ぐらいで諸大夫クラスとなり、従五位下○○守となれた可能性があります。そういう意味でも後、一歩というところで残念だったと思います。因みに息子の小栗忠順は安政六年(1859年)に従五位下豊後守に任じられ、その後、上野介を名乗っています。

小栗忠高の墓と墓碑

前述のように、小栗忠高は新潟奉行在任中に現地で亡くなっています。そのためお墓は新潟市にある曹洞宗のお寺、法音寺にあります。

墓を建立したのは息子の小栗忠順です。墓には忠高の事績を記した墓碑があり、これは忠順の依頼で幕臣の杉浦吉陽が撰文しています。

杉浦吉陽は初代新潟奉行の川村修就とともに新潟に行き、奉行所の定役に就いていた人物です。共に黒沢雪堂に学んだと言う点で忠高とは同門です。忠高の奉行在任中も部下として忠高を支えたと思われます。

また、杉浦吉陽の父、杉浦吉統と小栗忠高の実父、中川飛騨守忠英は文人・学者として交流があったようです。

上記の忠高の歴任した役職は墓碑に記載されています。また、墓碑には忠高が学を好み、武芸に優れ、慈悲深く、慎み深い人物である旨が記され、部下を公平に扱ったことが記されています。

大隈重信と妻、綾子の墓参り

大正二年に新潟を訪問した大隈重信夫妻が小栗忠高の墓参りに訪れています。夫人の大隈綾子は小栗忠高の姪に当たります。

資料:市島謙吉 著述 ほか『大隈侯一言一行』,早稲田大学出版部,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/964395 (参照 2026-10-30)

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