2027年の大河ドラマ「逆賊の幕臣」では高橋光臣が駒井朝温役を演じています。
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駒井朝温の略歴
旗本の駒井朝温は文政6年(1823年) 生まれなので、文政十年(1827年)生まれの小栗忠順より4つほど年長ということになります。従五位下に任じられ山城守、甲斐守を称しました。家禄も1800石と旗本の中では上級の部類でした。
元々は甲斐源氏武田氏の一族で、武田家では譜代家老衆の一員でした。徳川の旗本にはこうした武田家旧臣が多く含まれています。
朝温は出世コースとも言われる目付に就任した後、いきなり大目付へと抜擢されます。その後、小姓組番頭や勘定奉行など旗本として叶う重職を歴任していることから、優秀な人物であったと思われます。
また、軍事面でも歩兵奉行や講武所奉行並、陸軍奉行並、海軍奉行並など要職を歴任しています。
慶応元年(1865年)の有司武鑑には小栗上野介とともに勘定奉行として記載されています。

また、慶応二年(1866年)の「大成武鑑」には大目付として記載されています。

慶応三年(1867年)の「有司武鑑」には海軍奉行並として記載されています。

明治になってからは公職にはつかなかったようですが、 明治二九年(1896年)まで生を全うしました。
玉虹と言う号を持ち、能書家として書なども残しています。
駒井朝温と小栗上野介忠順
小栗上野介忠順は叔父の娘、つまり従妹に当たる鉞子(よきこ)を養女にし、その許嫁として駒井朝温の次男、忠道を養子として迎え家督を継がすつもりでした。しかし、忠道も小栗上野介の処刑に連座して、21歳で新政府軍に処刑されてしまいました。
その後、小栗家は忠順が処刑されたあと、妻の道子が生んだ娘、国子が成人するまでの間、駒井朝温の三男、忠祥が小栗忠祥として小栗家を継いでいます。このように小栗家と駒井家は深い関係で結ばれていたことがわかります。



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