2027年の大河ドラマ「逆賊の幕臣」では齋藤潤が小栗忠道役を演じています。
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小栗上野介忠順の養子だった忠道
小栗忠道は旗本、駒井朝温の次男として弘化四年(1847年)頃に生まれたとされています。父、駒井朝温は優秀な人物であり、目付に就任した後、大目付や、陸軍奉行並、海軍奉行並など様々な役職に就いています。
その後、忠道は小栗上野介忠順の養女になっていた忠順の従妹(忠順の母の弟、日下数馬の娘)、鉞子(よきこ)の許婚として小栗家の養子となります。こうして小栗家の後継者となるべく期待されていました。
小栗家は家禄2500石、一方、駒井家は家禄1800石と、それぞれ上級の旗本と言える家柄でした。また、小栗忠順と駒井朝温は共に勘定奉行に就任していたことがあります。互いに理解し合える仲だったと思われます。
小栗忠道の将来
実父、養父共に幕府の重責を担う存在であり、その後継者として小栗忠道の将来は明るかったはずです。彼らの後を追い、幕府内で枢要な地位を占めることも期待されていたでしょう。
当時、幕府にとって欧米列強の進出と、攘夷派など反幕府勢力の台頭が最大の問題となっていました。外交と軍事の重要性が非常に高まっていた時期なので、それに対応できる人材が求められていました。
そうした中、幕府はフランスとの関係を深めていきます。もし幕府が継続していたなら、近代化、軍事化もフランス式で行われた可能性が高かったはずです。
こうした事情から、幕府ではフランス語のできる士官候補生を養成することが必要となります。そのため、元治二年(1865年)に横浜に横浜仏語伝習所を開きます。この設立には日本側からは小栗忠順や栗本鋤雲が関わり、所長には外国奉行の川勝広道が就いています。また、フランス側では全権公使のロッシュが全面的に関わり、その通訳、秘書的な役割を果たしていた神父のメルメ・カションが実質的な校長でした。
小栗忠道はこの横浜仏語伝習所の第1期生となります。同期には栗本鋤雲の養嗣子、栗本貞次郎、川路聖謨の孫、川路寛堂などがいます。フランス語のできる近代化を推進する役割を期待されていたことが分かります。
その後は幕府の歩兵差図役頭取に任命され、キャリアを積み始めようとしていました。
小栗忠道の死
しかし、明治維新へと移っていく激動の中、忠道にも悲劇が訪れます。父、小栗上野介忠順が役職を解かれ、所領のある上野国群馬郡権田村(群馬県)へと引きこもります。忠道もそれに従います。
官軍が高崎に迫り、忠道は使者としてそこへ出向きますが、捕らえられます。父、忠順も権田村で捕らえられ翌々日に処刑され、その翌日に忠道も高崎で処刑されてしまいます。


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