2027年のNHK大河ドラマ「逆賊の幕臣」では草川拓弥が荒川祐蔵役を演じています。
![]() |
荒川祐蔵とは
荒川祐蔵は天保三年(1832年)に常陸国下吉影村(茨城県)に生まれました。父は酒造業を営む俳人の江幡昭眉で、その次男が祐蔵です。ですから江幡祐蔵とも呼ばれます。祐蔵は通称で尚賢というのが名前です。
嘉永元年(1848年)に笠間藩士・富田忠蔵の婿養子となり富田泉蔵と名乗りますが、嘉永六年(1853年)に離縁となっています。
小栗上野介忠順の従者として訪米
その翌年の嘉永七年(1854年)に江戸へ出た祐蔵は旗本小栗上野介忠順家の家に寄寓し、その後、家臣となります。前年の嘉永六年(1853年)は浦賀にペリーの率いる黒船が現れ、大騒ぎとなった年です。
アメリカとの間で日米和親条約に続き、安政五年(1858年)に日米修好通商条約が結ばれます。その批准書の交換はワシントンで行われるとされたため、翌安政六年に幕府の使節団が米国海軍のポーハタン号に乗船して、アメリカへ向かいます。いわゆる万延元年遣米使節です。
その一行の中に監察役の目付として主君の小栗忠順も乗船することになりました。使節の正使と副使、つまりトップとナンバー2は外国奉行兼神奈川奉行であった旗本の新見正興と村垣範正が務めました。小栗忠順はナンバー3のポジションでした。
![]() |
祐蔵も小栗忠順の家臣として一行に加わって渡米することとなり、ハワイを経由してサンフランシスコに到着、その後、パナマを経由してワシントンに到着しました。
そこでは15代アメリカ大統領ジェームズ・ブキャナンにも謁見しています。一行にはメダルと金時計が贈られています。大統領から正使、副使および監察を務めた小栗忠順の3人に金メダルが、その後、国務長官からそれ以下の士官級の随員20名ほどに銀メダル、従者等、50名ほどに銅メダルが贈られました。従者であった祐蔵にも銅メダルが贈られています。
遣米使節に贈られたブキャナン大統領肖像入りメダルと金時計

出典:外務省ホームページ(日本語):(https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/akebono/12.html)
荒川祐蔵の最期
幕末に幕府側の重鎮として活躍した小栗忠順の家来として、その活動を支えていましたが、時代は明治へと移ろうとする中、忠順はお役御免となります。そのため、忠順は領地のあった上野国の権田村に移住します。その際、祐蔵も共に移ります。
しかし、慶応四年(1868年)、戊辰戦争で新政府軍が迫る中、最早、一線から退いている小栗忠順も移住先で捕らえられてしまいます。そして、翌々日に斬首されてしまいます。
その際、家来であった荒川祐蔵も同じく家来であった大井磯十郎、渡辺太三郎とともに斬首されてしまいました。まだ30代半ばの早すぎる死でした。



コメント