2027年のNHK大河ドラマ「逆賊の幕臣」では甲本雅裕が佐藤藤七役を演じています。
佐藤藤七とは
佐藤藤七は農民として日本で初めて世界を一周した人物として知られています。ここでは佐藤藤七について見ていきます。
権田村の名主
佐藤藤七は文化四年(1807年)に現在の群馬県藤岡市本動堂(もとゆるぎどう)で生まれました。名は信有(あるいは信宥)であり、通称が藤七です。
その後、代々名主を務める上野国権田村(現在の群馬県高崎市倉渕町権田)の佐藤家に婿養子として入ります。藤七が優秀な人物だと評価されていたのでしょう。佐藤家は酒造を営んでおり、当主は代々、勘兵衛を名乗っています。
小栗家との関係
この権田村は旗本、小栗家の領地でした。つまり、小栗家と佐藤家は領主と領地の名主という関係でした。
小栗忠順の父、小栗忠高は文化六年(1809年)生まれなので、藤七のほうが二つほど年上でした。
万延元年遣米使節の一員
幕末の黒船の圧力により、安政五年(1858年)にアメリカとの間で日米修好通商条約が結ばれます。この条約の批准書の交換は米国ワシントンで行われました。
そのため、翌安政六年に幕府から小栗忠順含む正式な使節団が米国へ向かいます。このいわゆる万延元年遣米使節には佐藤藤七も小栗の従者として米海軍のポーハタン号に乗船しています。
小栗忠順と9人の従者は藤七を除くと、皆、10代後半から30代半ばでした。従って、小栗の父親より年上で50代の藤七が最年長でした。
名主とはいえ、農民身分であった藤七が抜擢されたのは小栗忠順の新任が厚かったからだと思われます。これにより、農民として初めての世界一周という栄誉に浴すことになります。
小栗の従者としては他に肥後藩士の木村鉄太も加わっていました。木村鉄太は「航米記」を著しています。そこには、「小栗家従者九人」の一人として「佐藤藤七」の名が記されています。

また、佐藤藤七自身も「渡海日記」という興味深い航海日記の他、「諸用留」というメモを残しています。
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寺子屋の師匠
学問にも熱心だった藤七は権田村で寺子屋を開いています。この寺子屋で学んだ塚越芳太郎は後にジャーナリスト、歴史家として活躍します。
晩年
農民として日本初の世界一周を成し遂げた佐藤藤七は、引き続き郷里で名主を務め、明治五年(1872年)に亡くなります。墓地は権田村の十王堂墓地にあります。法名は瑞雲院観児良光居士です。


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