「逆賊の幕臣」 娘婿:小栗 貞雄(おぐり さだお)

逆賊の幕臣

小栗貞雄とは

小栗上野介忠順が非業の最期を遂げた後、生まれたのが娘、小栗国子です。その国子と結婚し、養子として小栗家を継いだのが小栗貞雄です。ここでは、小栗貞雄について見ていきます。

資料:実費診療所 編『社団法人実費診療所の歴史及事業』第1巻,実費診療所,大正9-15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/957505 (参照 2026-11-03)

佐伯藩士 矢野家

小栗貞雄は文久元年(1861年)、豊後国海部郡、現在の大分県佐伯市に生まれました。父は佐伯藩士の矢野光儀(みつよし)です。光儀は佐伯藩時代、浦奉行や御郡代兼町奉行などを務め、明治になると葛飾県知事、深津県権令、小田県令などを歴任しています。

矢野文雄(龍渓)

兄の矢野龍渓は嘉永三年(1851年)生まれで、貞雄とは10歳ほど違います。慶応義塾に入り、英米の憲法を学んだ龍渓は民権と立憲体制の確立を目指すようになります。

慶応を出た後、官吏として統計院や大蔵省で勤務しています。その後、大隈重信と郵便報知新聞を買収し、社長となっています。東京専門学校(後の早稲田大学)の創立委員になるなど大隈のブレーン的立場で活動しています。

小説家・ジャーナリストとしても活動し、政治小説「経国美談」で知られています。

経国美談 上 (岩波文庫 緑 2-1)

その後、海外歴訪後、栗本鋤雲の下で、弟、貞夫らと郵便報知新聞で活動します。

また、宮内省での勤務や大隈外務大臣の下、清国特命全権公使を務めるなど、政官界、ジャーナリストなど幅広く活躍しました。

小栗国子と結婚し、小栗家を継ぐ

10歳離れた兄の活躍は弟の貞夫にも大きな影響を及ぼしたと思われます。兄と同じく慶應義塾で学び、前述のように兄の下、明治十九年(1886年)に報知新聞社に入り、でジャーナリストとして活動します。

同じ明治十九年に大隈重信と兄、龍渓の勧めで小栗上野介忠順の娘、国子と結婚し、小栗家の婿養子となります。これにより、14代目の小栗家当主、小栗貞雄となり、小栗忠順の血筋を迎えて小栗家が再興されます。

国子との間には息子、又一がいます。又一は小栗家の代々の通称です。

日露戦争の際、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎に息子、又一と共に招待され、海戦に勝てたのは小栗上野介が横須賀に造船所を作ってくれたおかげだと謝意を伝えられています。

実業界で活躍

小栗貞雄を実業界で活躍しました。詳細に長け、築き上げた資産は兄、龍渓の活動を支えました。

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