2027年のNHK大河ドラマ「逆賊の幕臣」では上白石萌音が「みち」として小栗道子役を演じています。
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大名家の姫
小栗上野介忠順の妻となる道子は播磨国林田藩一万石の8代目当主、建部政醇の娘として生まれました。つまり、一万石とはいえ、大名の御姫様だったわけです。父、建部政醇は外様大名でしたが、大番頭や奏者番など幕府の役職を務めています。
以下の弘化二年(1845年)の弘化武鑑を見ると建部政醇の娘が「小栗剛太郎 室」と記されています。これが小栗道子です。道子には複数の兄弟がいましたが、この武鑑では道子以外に二人の兄弟が記されています。
「小栗剛太郎 室」の左横にある「三之助」というのが9代目藩主となった建部政和(まさより)です。もう一人は、「彦坂民之助 室」とあり、家禄3000石の旗本、彦坂重遠の妻になっていることがわかります。寄合であった彦坂重遠は火事場見廻を務めています。

小栗上野介忠順に嫁ぐ
嘉永二年(1849年)、道子は小栗上野介忠順に嫁ぎます。翌年、ペリーが浦賀に来航し、幕末と呼ばれる時期になる頃です。当時、義父の小栗忠高は役高1500石の持筒頭を務め、忠順も2年前の弘化四年(1847年)に西の丸書院番と言う前途明るい役職に就き、キャリアの第一歩を踏みだし始めていました。
その後、夫の忠順はアメリカへの渡航や外交、産業振興、軍備の強化など近代化に向けた様々な業務に多忙を極めます。そうした中、妻として道子は小栗家を支えていました。
当時、子が無かったので、忠順の従妹に当たる日下鉞子(よきこ)を養女に、旗本、駒井朝温の子、忠道を養子に迎え、二人を夫婦にして後を継がせる予定でした。
夫の死と逃避行
順風満帆かと思えた小栗家ですが、徳川の時代から明治へと移り変わる中、悲劇が訪れます。討幕派に対し、徹底抗戦を主張した小栗忠順ですが、その主張は入れられず、将軍の慶喜は恭順に傾きます。
その後、役職を解かれた忠順は領地のあった上野国(群馬県)に引きこもります。一家は政治の激動から離れ新しい一歩を踏み出そうとしていました。しかし、新政府軍はそれを許さず、夫、忠順をはじめ、養子の忠道も捕らえて処刑します。
危機を感じた道子や義母の邦子、養女の鉞子などは家臣と共に会津を目指して逃げのびます。道子のお腹には待望の子どもを授かっている中での悲劇でした。
会津にたどり着いた道子は娘、国子を出産し、その後、明治二年(1869年)に東京に戻り、かつて小栗家に仕えていた三野村利左衛門の世話になりました。そして、明治十八年(1885年)にこの世を去ります。娘の国子が成人し結婚するまでは駒井朝温の三男、小栗忠祥が小栗家を継ぎました。


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